当時のシュタインボック・マシナリー社の社長ロルフ・シュタインボックは、旧型が抱えていた問題を大きく低減する金属裁断機を開発することに成功し、日課となっていたブレード交換は週に1度で済むようになりました。しかし、厄介な問題が1つ、残されていました。裁断機は運転中常に回転しているため、ボルトが緩んでしまうのです。メンテナンスにあたる作業者たちは、この人間の力では締め込むことができない大きなサイズのボルトを増し締めするため、定期的に緩んだボルトに巨大なレンチを引っ掛け、スレッジハンマーを叩きつけて増し締め作業を行う必要があったのです。これが大きな問題でした。
ある日、またボルトが緩んでいるという現場へ足を踏み入れた時、シュタインボックは突然閃きます。
「この大きなボルトを締め込むトルクを、いくつかの小さなトルクに分散させられないか?」
彼はすぐに、5/8インチ(15.875mm)の小さなボルトが頭部にぐるりと配置された2インチ(101.6mm)のボルトのスケッチを描いてみました。そしてその下には小さなボルトの圧力から相手材を保護するための、硬度を上げた特殊なワッシャーが描かれていました。
このアイデアに感心したUSスチールのメンテナンス作業者たちは、ボルトに加工を施してシュタインボックのアイデアを形にし、試験を重ねた上で製品として採用することになりました。以降この独特の形状を持った5/8インチの大きなボルトが緩みを起こすことはなく、エンドユーザーはメンテナンスコストを大きく軽減できるため、この製品をいたく気に入りました。
シュタインボックはジャックボルトの作用を更に深く研究し、製品を改良しました。そして特許を取得し「スーパーボルト」と名付けたのです。
新たに生まれたこの「スーパーボルト」という製品は、旧来のボルト・ナットからそのまま入れ替える形で取り付けることができ、重工業分野では当たり前と思われていたボルト締結課題の殆どを解決してしまいました。シュタインボック・マシナリー社は、スーパーボルトによって急成長し、やがて一族総出で会社を切り盛りするようになります。ロルフ・シュタインボックは彼の2人の息子、ロバートとアランを会社に引き入れ、この2人の下で会社は更なる成長を遂げて行きます。
2001年にロルフ・シュタインボックが逝去した時、ロバートとアランは10年前と比べて事業規模を3倍に拡大していました。
1988年には、ロルフ・シュタインボックとゲルト・プロークの2人は、スイスのリェータースヴィルにP&Sフォルシュパンシスティーム社を設立しました。設立当初、オフィスはプロークの自宅を使用し、経理はプ ロークの妻に任せられ、設計や製造業務はガレージで行われていました。
この頃からスーパーボルトは、ヨーロッパからライセンス生産のオファーを受けるようになりました。ほどなくしてP&Sの共同創設者であり筆頭株主であるゲルト・プロークの息子、ロバート・プロークがP&Sに加 わり、1993年にはスイスのザンクト・ガレンカッペルにあるオフィスビルに移転を果たしました。2005年には高品質なマルチ・ジャックボルトテンショナーを量産するために新たな工場が建設され、2011年には工場が更に拡大されました。
2011年、ノルトロックグループは米国スーパーボルト社とスイスのP&Sフォルシュパンシスティーム社(現在のノルトロックAG)を買収し傘下に迎え、今日でもスーパーボルトはこの2箇所のみで生産されています。この40年に亘る歴史のおかげで、スーパーボルトは世界中の主要産業において、誰でも簡単に正確な軸力で締結ができる高品質な締結部材として知られるようになっています。
ノルトロックグループとスーパーボルトの運命的な出会いは、どんなに過酷なボルト締結課題でも解決する革新的なテクノロジーを確立し、今日もあらゆる国と地域で安全性・確実性、そして生産性の維持向上に貢献し続けています。